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第6期 外食虎塾 2017 第6回

僕は外食虎塾が僕の目標にとって最高のストーリーになる事を常に意識して臨んでいます。

今でも若いと当然言われる年齢ですが、もっと若い4年前、F6で見た西山さんの講演を聞いて、勢いで7年1000店舗をやる!!と言っていた時と今では全く同じ言葉でも重みや意味は違います。

言い続けた事で切り拓け見えてきた道。

言い続けた事を聞き続け支えてくれている仲間達。

言い続けた事を信じてついてきてくれてる部下達。

発言する事で自分の甘さを叱って(アドバイスを)くれる先輩達がいるからこそ、達成への根拠が見えてくる。

この目標がなければ、100店舗以上やりたい人、会社を上場させたい人を集め輩出させたいという思いの虎塾には当然入っていなかったし、きっとどこかの酒場で人の文句を肴に酒を飲んで愚痴を吐き続けている人生になってたかもしれません。

なんで7年1000店舗をやりたいのか?

それは日本一有名な飲食経営者になりたいからです。

なんで日本一有名な飲食店経営者になりたいのか?

少し長くなりますが語らせて下さい。

親父が生後三ヶ月の時に僕のおじいちゃんである、親父の父親が交通事故で亡くなりました。

山陽電車と自動車の初めての死亡交通事故だと聞いています。

親父は父親を知らずに育ちました、お婆ちゃんはヨイトマケの仕事をしながら生計を立て、親父は土間で手や足を擦り剥き泣きじゃくりながら赤ちゃん時代を過ごし新聞配達のバイトをしながら小学生時代を過ごしたそうです。

そんな親父が僕が悪さをして手がつけられない時、おかんにもらした言葉があります。

としこ、ワシの教育は間違えてたんかな?

父親を知らないからこそ、全力で出来る限りの愛を注いできたつもりやったんやけど、それが間違えてたんかな?

その言葉をおかんから聞いた時、僕の脳裏に焼き付きました。。。

親父は小さいながらも町工場で靴の底を作る仕事の社長をしていました。

両親は僕が小さい時に離婚をしていて、3歳から9歳まで、スナックを経営していた、おかんと住んでいました。

僕の生活環境の為にバブル後一度は不渡を出すも、なんとか食うには困らない程度まで復活した、親父に9歳の時に引きとられ、新しい生活がスタートした。

そんな矢先、10歳になる年に阪神大震災が起きました。

絶対にこの光景は将来未来の為に見ておかないとあかん!!と恐怖で震えている僕の手を引き外にでました。

そして、焼けた家屋の臭いに囲まれ崩れ落ちた工場を眺めながら、たった一言。これから大変になるぞ。。。と言葉を漏らした親父の姿がそこにはありました。

それからは毎朝毎晩白いランニングシャツと薄く磨り減った黒いスラックスとサンダルを履いて、毎日毎日、焼けたゴムとボンドと汗の臭いを付けて僕が寝てる間に帰ってきて、僕が起きる前に起きて弁当を作ってくれていた親父。

子供ながらに大変なんだとわかってはいても不満が募りグレてしまいました。

中1の夏、学校に行ってもつまらず先生を困らせてばかりいて、とうとう学校に行くのが嫌になり、毎晩悪友と先輩達と一緒にバイクに乗って遊んでいた。

そんな毎日プラプラ遊んでいた僕に親父が仕事か学校かどっちか選べ!!と言い放ち、仕事をとった。

13歳から17歳まで親父の仕事を手伝い、当時遊んでいた悪友達も高校に進学して今思えば名ばかりの自由で制服姿で遊んでいた奴らに少し羨ましさを覚えた。

そんな中、知恵を振り絞って姉達と相談しながら僕を調理師学校に行かせる事を考えてくれていた。

お前みたいな義務教育の学校もまともに行ってないアホ馬鹿チョンはこれから貿易物で成り立っていく頭使う生産業の仕事は無理やろ。だから人間がこの社会を生活していく上で無くなれへん、衣・食・住のどれかをせなあかん。その中でも食は1日3回あるやろ?だからそれだけチャンスがあるんや。だから食の道へ進め。調理師学校行って来い。まともに学校行かれへんお前の事やから一年で調理師免許とれるとこ行ってこい。

頭がポカーンとなりながら聞いていた僕は制服があると言う理由で、行きたい!と言った。案の定まともに卒業できずに半年卒業が伸びた。

まともに通っていないから、何をやるのかもわからず、なんとなくアルバイトで飲食店に行った。

初めてのアルバイトはトリドールだった。

全然面白くない。。。

パチンコで大勝ちした日、同時にバイトを辞めた。

またプラプラする日々が始まり色々と迷惑もかけた。

結局、親父の仕事の手伝いをする日々に戻った。

19歳になる年に、また親父から提案があった。

お前店やってみるか?絶対に将来ええ経験になるからやってみろ。

19歳で店やる?友達にめっちゃ自慢できるやん!!そんな動機で二つ返事でやる!!と言った。

渡された資金は100万円。

これでやってみろ。

はい。普通にできる訳がない…

まぁ、なんとか韓国風鉄板焼 とん をオープンさせた、ザル計算もザル計算、足し算と引き算だけの計算で3年間営業し借金をするかしないかの決断を迫られ閉店を決意した。

それから東京に行き、コンテンツという会社でFC事業なるものを学んできました。学ぶというレベルではなかったのですが、任されたお店が秋葉原ドン・キホーテ前地下、昭和食堂というお店。テーマはスタミナ丼という事で店作りを全て任され24席で900万売れるお店ができました。

天狗になった僕は社長とソリが合わずに自由奔放な辞め方をしてしまいました。

地元に戻って、自分はできると思っていたので自分でやるも大失敗。今思えば当然といえば当然でした。

身内には迷惑をかけ見放されるし、夢も希望も何もなく生気さえも薄れていくのが自分でもわかった。

そんな時、目に入ったのが焼肉屋さんの求人募集。

お!賄いで焼肉食べれるかも!!
そんな理由で働き始めた。

そこで出会った社長の焼肉に対する想い、小さい頃家族でご馳走に行くのって焼肉だよねだから焼肉が好きなんだよね!!関西人やのにそこは関東弁なんや。と思いながらスタッフ達と楽しそうに仕事をしている光景を見ながら、なんとなく過ぎていく日々。

またまた親父の鶴の一声から始まった。

もうお前もここでやらんと腐った人生で終わるやろや。最後や思うわ。もういっぺん人生やり直す気持ちでやってみろ。とにかく本を読め!なんでもええから本を読め。総理大臣見てみあんなに偉くなっても車の後ろで本読んどるんや。たまたま見ていたニュースの一瞬の映像にその光景がうつっていた。

二度と後悔はしたくない。

朝起きて寝るまで本を読みまくった。ただただ訳もわからずがむしゃらに読みふけった。

何が正解で何が間違えているのかもわからず、ただただ、読みまくった。

その時にだんだんと見えてきた物があった。

そして決意をした。

今までどんな状況にあっても息子を想い続けてくれた親父の教育は間違えてなかったんだと、その愛ある教育によって僕は世の中の人に喜んでもらえる飲食で成功して日本一になるんだと。

大きな目標を探していた時、西山さんの事を知った。

長くなりましたがこれが7年1000店舗を目指した理由です。

そんな想いを持ちながら毎回参加している虎塾で、待ちに待った昨日の虎塾講師は、四年前に僕に7年1000店舗の目標を持たせたくれた、外食の神様と呼ばれている、西山会長と畑の伝道師 ジャパニーズバーニャカウダ(アンチョビとオリーブが分離した方ではなく、乳化させた一体感のあるタイプ)の生みの親 I LOVEバーニャカウダ渡邊 明社長でした。

世界の天才料理人 
株式会社イートウォーク
代表取締役社長
渡邉 明氏
伝説のレストラン「TABLEAUX」初代料理長。
その後独立し2004年東山に、「AWkitchen」をオープン。
創業時からのメニュー「農園バーニャカウダ」が評判を呼び、今のバーニャカウダブームの火付け役として注目。
現在24店舗を運営。

元JASDAQ上場
外食の神様特別講演! 
株式会社ダイニングイノベーション
代表取締役会長
西山 知義氏

1966年生まれ。
炭火焼肉酒家 牛角」「しゃぶしゃぶ 温野菜」「居酒屋 土間土間」の創業者。
2012年に株式会社ダイニングイノベーションを設立。
日本の外食を元気に、素晴らしい日本の食文化を世界に伝えるべく、
「感動創造」を企業理念に掲げ、焼肉、焼鳥、ラーメン、うどんの日本食に「今までにない新しい価値」「革新的な体験」を加えた新業態を国内で生み出しそれらを海外に展開して行く。
現在、国内外に123店舗展開中(2016年12月時点)海外においては、シンガポール、台湾、インドネシア、カンボジア、フィリピン、ロンドン、アメリカ、韓国にて展開中。

運命的な共通点があるという二人の講師の話をいつもの一番前の席で聞かせてもらいました。

『自分自身の進化は世の進化だと思う。決して悔いのない人生を送る。』

渡邊 明さんの悩みながらも自由な生き方をしている姿はとてもカッコ良いと思いました^_^

西山会長の講義

ただただ圧巻でした。

講義中スクリーンに映し出される映像に後ろから、パシャパシャ!横からパシャ!パシャ!カメラのシャッター音が映像がかわる度に鳴り響いてました。

質問タイムで自分の目標をやっと直接伝える事ができ、アドバイスをいただきました。

西山会長「根拠はあるの?

どのくらいのペースでどのくらいの資金調達をし、どのエリアに出店を仕掛けどのくらいの利益を上げれるのか…

根拠のない目標を口に出すのはあまり良くない事だよ。

でも、言葉に出して想い続ければきっと出来るよ頑張って。」

僕「やります。」

頭が一瞬でオーバーヒートしそうなぐらいこれから色んな事をやらないと達成できないと感じました。

でも、今まで見えなかった物が発言してアドバイスを聞く事によって見えてきた。

めちゃくちゃやる気が出ました。

何度も何度も挫折仕掛ける度に奮い立たせて、言い続けてきた目標の言葉。

また一つ確実に大きく前進しました。

そして、その発言を馬鹿にせず褒めてくれた安田塾長と6期生の仲間。

めちゃくちゃ嬉しかった。

そんな熱い仲間と講師が集まる外食虎塾は本当に入って良かったと思います!!!

松村さん、サプライズ参加ありがとうございました😊

次回は9月!!

行きたくなった人は是非ともメッセージ下さいね^_^

きっと目指す処が見つかると思いますm(_ _)m

最後にまだまだ伝え方が下手くそなんで、もっともっと上手になっていきたいと思います^_^

ありがとうございましたm(_ _)m